「それって本質が見えないから」。面接で心を射抜かれた一言
最初の出会いは、新卒向けのオファーサービス「エンカレッジ」です。就職活動を始めたくらいの時期に、ユーザベースからオファーが届いて。声をかけていただいたのに受けないのは失礼かな、と思ったのが正直なところで、それがなかったら受けていなかったと思います。
地元が岩手なので、岩手銀行(以下「岩銀」)が第一志望でした。他にもいろいろ見ていましたが、本気で考えていたのは岩銀くらいですね。祖父や家族にとっても、岩銀に入れば「安泰」というイメージがありましたし、自分も地元の良い高校に行こう、みたいな感覚で考えていました。
それが本当になくて(笑)。ワークショップにたくさん参加して、それっぽくつくった軸はあったんですけど……。当時はユーザベースのことも、NewsPicksのこともほとんど知りませんでした。政治系のニュースは見ていましたが、プラットフォームとして意識したことはなかったです。
最初の面接官だった佳織さん(渡部 佳織)のことは、すごく覚えています。ワークショップで一生懸命つくった就活の軸を話したら、「ジョー君の本質が見えない」って言われたんです。
「しまった!」と焦りました。そこからはもう、準備していたことではなく、聞かれたことに対して素直に答えることしかできなくて。だから面接に通った時は、正直「入りたい」というより「わ、通ったんだ、よかった」くらいの気持ちでした。本当に失礼な話ですけど(苦笑)。

実は、岩銀からも内定をいただいていて、本当にめちゃくちゃ迷いました。なんなら、少し岩銀の方に気持ちが傾いていたくらいです。祖父からも「岩手に帰ってこい」と言われていましたし。
ユーザベースを選べなかった理由は、自分にできる自信がなかったからです。選考が進んで、事業内容をじっくり見てみて、自分には少し高度すぎる気がして。それに、「ベンチャー」「スタートアップ」という響き自体に、自分はやっていける気がしない、という漠然とした苦手意識がありました。
すごく仲の良い友人に相談したんです。そしたら、「選んだ道を正解にする努力って大事だよね」って言われて。
ユーザベースは本社が東京にあるし、岩手と比べると明らかに触れられる情報や経験の幅は広い。地元で評価されている岩銀も魅力的だけど、自分が「難しい」と思っている方を選んで、それを正解にできた方が、最終的に得られるものは多いんじゃないか、と。その話を聞いて、「確かに」と思えました。それで、内定承諾の最終日に、ドキドキしながら承諾書を送ったのを覚えています。
反対はされませんでした。「好きな方を選びなさい」と。ただ、祖父や祖母からは「帰ってきた方がいいこともあるんじゃない?」というニュアンスは感じていましたね。近くにいてほしい、という気持ちもあったと思います。でも「自分はユーザベースに行きます」ときちんと伝えて、「じゃあ、頑張って」と送り出してもらいました。
入社後に感じたギャップと仕事のリアル
ユーザベースに対する解像度が低かったので、入社前に抱いていた「活気があって、動きが早いベンチャー企業」というイメージ、そのものでした。ニュースになるような大きな取り組みをしていたり、仕事のスピードが速かったり。だからギャップは少なかったですが、「うわ、本当にイメージ通りだ。やっていけるかな……」という不安は、より一層強くなりましたね。1年経った今も、その変化の速さについていくので必死です。
僕は「掘り起こし」を担うチームにいます。過去に接点があったものの、失注してしまったり、セミナーに参加された後にご連絡できていなかったりするお客様にアプローチする役割です。たとえば、マーケティングチームが送ったメールを開封してくれた方に対してお電話を差し上げたりします。
一番難しいと、僕は思っています。明確な接点がないので、「覚えていない」「何の電話?」と言われてしまうことがほとんどです。2019年頃に接点があった方にお電話することもありますから。
いや、もう折れました(笑)。今も折れています。

もう、めちゃくちゃ人に話します。上長のアリーさん(小森 有紗)や、他のチームの仲の良い先輩、同期の正弥(小林 正弥)にも。「こういう断られ方をしてしんどかった」とか、「行けると思ったのになんでだろう」とか、率直に思っていることを全部。
実は、成果がなかなか出ない時期が続いて、断られることが自分自身を否定されているように聞こえてしまったことがあって……。時々お休みをいただいたこともありました。断られて当たり前、自分を否定されているわけじゃないと頭では分かっていても、やっぱりへこみますよね。
みんなで掴んだ初パイプライン。忘れられない成功体験
入社1年目(2024年)の9月のことです。当時、新しいセールスチームができたばかりで、たくさんの商談を獲得しようという動きがありました。その中で、ある大企業の、しかもSpeedaがかなりお役に立てそうな大きな部署の商談が取れたんです。
はい! それだけでも嬉しかったんですけど、その後、上長や先輩たちが「作戦会議をしよう」と声をかけてくれて。商談は取れたけど、お客様が本当に何に困っていて、何をしたいのか、もっと深く聞いてみよう、と。
当時の僕のバディ(教育係)だったアリーさんにも相談しながら、どういう聞き方をすれば良いか、みんなで練り上げて。結果、その商談がパイプライン(受注見込み案件)になったんです。初めてのパイプラインではなかったんですけど、「みんなで協力して成果に繋げられた」という経験が、すごく強く心に残っています。
本当に、申し訳ないくらい手厚く見てもらっています。特に尊敬しているのは、上長のアリーさん、先輩の堀池さん(堀池 宏音)、そしてISの立ち上げから見てくださった田本さん(田本 圭史郎)です。
アリーさんは、僕が感情的になって物事を考えてしまう時に、一度それを飲み込んで、寄り添いながら考えてくれる人です。僕だったら面倒くさいと思ってしまうようなことにも、コミュニケーションを諦めずに、深く踏み込んできてくれる。本当にすごいなと思います。
堀池さんは、すごくクレバーな方。僕が事実と感情を切り分けられない時に、「ここは数字の部分だから、数字として考えよう」「でも、その気持ちはすごく分かるよ」みたいに、うまく紐解いてくれるんです。

はい。そして田本さんは、僕の営業に対する苦手意識を変えてくれた人です。もともと、僕は営業ができないと思っていました。口がうまくないし、端的に物事を伝えられないので。コミュニケーションが上手な人がやる仕事で、自分とは違うものだ、と。
田本さんは「電話で断られても、君が否定されているわけじゃないよ」ということを教えてくれました。ロープレ(ロールプレイング研修)が終わってすぐの頃、断られ続けていた僕のために、アリーさんと田本さんが時間をつくってくれて。「必要ない人には必要ない。話してくれる人を大事にしよう」と。その言葉をもらって、それならもう一度かけてみようかな、という気持ちになれました。
迷ったら挑戦する道を選ぶ。いつか体現したいバリュー
「迷ったら挑戦する道を選ぶ」です。ただ、共感するというよりは、「いつか体現したい」という目標に近いかもしれません。
僕は、自分で挑戦する道を選ぶのが苦手なんです。就職活動の時の決断も、友人の言葉がキッカケでした。決まったことをやり続けるのは得意で、日報も「やめろ」と言われるまで続けられるんですけど、それを工夫したり、もっと良くしようと考えたりするのが苦手で……。

たとえば、ただ商談を取るだけでなく、「他の人も巻き込んでみよう」とか、「この商材も提案できるんじゃないか」とか。そういう発想がなかなかできないんです。同期の正弥は、それがすごく上手で。彼の背中を見ながら、自分もできるようになりたいと思っています。やり方が分からなかったり、やるのが怖かったりして、結局、難しい道を自分で選択できない。だからこそ、いつか自分の意思で、挑戦する道を選べるようになりたいです。
「その時、自分が選んだ道を大事にするのが一番だよ」と伝えたいです。あとは、この前、社長の稲垣さんとラーメンを食べに行った時に言われたんですけど、「3年は続けなさい」と。だから、「3年は続けられる仕事を選びなさい」とも言うと思います。
できるかできないかは置いておいて、実現したい世界があります。それは、「世界のマイナスを0に近づける」ということです。

編集後記
インタビュー中、「自分はやっていける気がしない」「やっていけるかな……って不安がより一層強くなった」と話し、たびたび「うまく言語化できなくてスミマセン」と謝ってくれたジョー(山口)くん。でも、すごく真摯に愚直に仕事に向き合っている姿勢がヒシヒシと伝わってきて、めちゃくちゃ応援したくなりました! 冒頭にも書きましたが、「特にやめろって言われていないので……」と日報を書き続けているのは、とにかくスゴい! これからの成長をますます楽しみにしています!